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再臨は都市伝説じゃなかった

※すっごく間があきましたが、シリーズ記事14です。

1時間かけて書いたものが消えてしまったため、本当に書きたかったことを忘れてしまった気がします( ̄_ ̄ i)

★★
この一連の記事では、WTがなぜマタイが最初に書かれた福音書であり、どうして重要度が高いものとして支持し続けているのか、その背景を探ります!
★★

なぜ、福音書はマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネと並んでいるのでしょうか??
まるで書かれた順番のように思われるでしょう。

実際、多くの教会では、人々はマタイが一番最初に書かれた書であるという認識を持っています。
しかし、それは正しいのでしょうか?

今日、多くの聖書学者は、マタイが一番最初に書かれたとは認識していません。
むしろ、書かれた順番は、マルコ・マタイ・ルカ・ヨハネであることがわかっています。
(詳しくは『』などの本をお読みいただければと思います。)

最初にマルコが書かれたとなれば、いくつかの問題が提起されます。
なぜマタイは同じような福音書を書く必要があったのでしょうか?
またなぜルカは、他の福音書よりもより詳しく正確にと前置きして書き直す必要があったのでしょうか?

この記事では、マタイとマルコを比較検討して、マタイが書かれた真の動機について、探っていきたいと思います。

これを通して、読者の皆さんが、マタイ福音書について、正しい認識を持っていただきたいと考えています。

加えて、モンタノス派と言われる宗派との類似点なども考えてみたいと思います。

では、【14】となります。

さっそく考えていきましょう!

※最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ!

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今回は「福音の内容について」書いてみようと思うのですが、このテーマについては、以前書いた記事があるので、そちらをリンクします。

(ちょっと理解が変わった部分もあるのですが、概ね間違っていないはず;最近、自分の理解が変わってきたり、勉強した結果、あ、違うわと思うことが多いんですよね…orz)

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上の記事で紹介したのは、マタイの福音は(終末によって実現する)「神の国、御国」であり、マルコの福音は「イエスという男そのもの、その生き様」であるということでした。
マタイは「福音であるイエス」を、「福音宣明者(神の国を宣べ伝える)イエス」にしてしまいました。

教会とエホバの証人で解釈の差はあれど、どちらにしろ、マタイ福音書の伝える福音(御国)こそが最重要であることに違いはありません。

その御国の到来には、定められた時、その時があるとされています。

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悪霊は「その時」を知っている?

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マタイ8章29節に、悪霊の発言として、「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。(新共同訳)」という記載があります。

新世界訳ではもっと具体的に、「神の子よ,わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしたちを責め苦に遭わせようとして,定められた時よりも前にここに来たのですか」となっています。

つまり、この悪霊は、「終末よりも前に、俺たちを滅ぼしに来たのか」と言っているのです。

マタイでは、悪霊は終末の「その時」を知っているかのようです。

しかし、マルコの場合、時には言及されていません。

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「その時」=「カイロス」

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「その時」、「定められた時」としているギリシャ語は、「kairos」です。

この語は、古典ギリシャ語本来の意味であれば、「適切な時」「時宜にかなった時」「最高の瞬間」を表わすそうです。
※「時宜にかなった時」でお察しのとおり、奴隷級の聖句の箇所は、「kairos」が使われています。

しかし、キリスト教の神学では、預言や終末などの神学にかかわることにこの語を使う場合、区別して「the appointed time」と訳します。

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注意すべきことは、カイロスは時計の針がピタッとどこかを指すような、そういった時の概念を示す言葉ではないということです。

同じ「時」を表わす単語に「chronos」がありますが、それが定量的な時間を表わすのに対して、「kairos」は定性的な時間を表わす事に使います

定性的とは物事の質的な面を表現することで、収穫など、農業の時間と関連して用いられます。

例えば、「いちじくが芽をふき、葉を茂らすようになると、夏が近いことを知る」というイエスの譬えがありますが、これはカイロスで表わされる定性的な時間です。

(マタイ24章32節、マルコ13章28節)

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マルコとマタイの最大の違い?

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ここで福音書に戻って、終末の時について、二つの福音書の記述を比べてみたいと思います。

マタイの場合(24章〜)「神殿崩壊の時」と「イエスの再臨とこの世の終わりの徴を弟子たちは尋ねます。

イエスは「イエスの再臨とこの世の終わりの徴」を説明したのち、「その日とその時(hōras)」について、父しか知らないと言います。(この徴に宣教も含まれる。)

そして、マタイの場合は「成果を上げなければいけない!」という話になり、並行記述のない羊と山羊がわけられる話(キリスト教信者によくすれば裁かれないという話に偽造されている)についての話になります。

マルコの場合(13章〜)「神殿崩壊の時」と「一切のことが終焉する時の徴」を弟子たちは尋ねます。

イエスは「一切のことが終焉するときの徴」を説明したのち、「その日とその時(hōras)」について、そして「その時(kairos)」について、父しか知らないと言います。

そして、マルコの場合は「その時を知らないのだから、目ざめていなさい」という話になります。

マタイのいう終末とは、マルコのいう終末とは違い、イエスの再臨と密接に関係します。

そして、人間側で可能な様々な努力が評価され、選り分けることがされます。

また、kairosについては、知ることができる余地が残されています。

だから悪霊も知っていておかしくない。

だからWTは年代計算を正当化できたんですね。

(第1エノク書にも終末の時の計算方法が紹介されています。)

マルコの場合、マタイのような指示は見られません。

こんだけすごいことが起きなきゃ世界は終わらないのだから、すぐにも終末が来るぞ〜なんて、ふわふわして生きているなというだけです。

※のちに疑似パウロ書簡を書いた人の時代にも、終末がくるからといって働かず、ふわふわとして、自分に関係のないことに手出しをしている人たちの問題が記されています。(テサロニケ第二3章11節)

関連記事

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モンタノス派

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【2】の記事では、モンタノス派のパピアスが記した書物に、マタイが先であることが書かれていると紹介しましたが、ここでモンタノス派の教えについて振り返りましょう。

正統派からは異端とされるモンタノス派の教えは以下のようなものです。

というのは、150年代に登場し、キリストの近い時代の再臨と、千年統治を唱え、極度の禁欲的な生活で知られていたそうです。」

モンタノス派が信じていたのは、キリストの「近い時期の再臨」による「千年統治」です。

農村部に信者が多かった彼らは、それによって「地上」が産出的になると思っていました。
つまり、こういうことです。

↓↓↓

↑私は、ヤマギシズムと勘違いしていました……。

統治するのは、もちろん、再臨するイエス・キリストです。
 

モンタノス派にとって、イエスの再臨、神の王国が統治するという福音は再重要のものですから、モンタノス派のパピアスが「マタイが先に書かれた(つまり重要度が高い)」と書き残したのも、おかしな話ではないと思います。

また、彼らはマタイで指示されているように、禁欲的な生活を実践することによって救いを確実にできると信じていたのでしょう。

ここもWT・JWの姿とかぶります。

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マルコとマタイの「収穫の時」

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マルコは農業に関連した、こんなイエスの譬え話を記録しています。

これはマルコにしか残されていない譬え話です。

マルコ4:26(田川訳より)

「神の国は人が種を地に蒔くようなものである。そして夜昼、寝たり起きたりしていると、その人が知らない聞に種は芽を出し、伸びる。大地がおのずと実を結ぶのである。まず青草を、それから穂を、それから穂の中に穀物が満ちる。時が許すと、すぐに鎌を入れる。収穫の時が来たからだ。」

私の考えですが、ここの譬えは、イエスの宣教と十字架上での死までを表しているのではないかと思います。

時が許すと=引き渡す、裏切りとも訳されるギリシャ語。

収穫=悲しみと死のモチーフ。イエスは初穂として地から取られた。

マタイの場合、ここは、同じ収穫の譬え話でも、終末の時に毒麦である集団を滅ぼすという話になっています。

マタイ13章25節〜30節(田川訳より)

人々が眠っている聞に、彼の敵が来て、麦の中に雑草をまいて、去った。草が生え、実ができた時に、雑草もはっきりしてきた。家の主人の奴隷たちが進み出て、彼に言った、主よ、あなたの畑には良い種をお蒔きになったのではないのですか。どこから雑草が生じたのでしょう。主人は彼らに言った、敵の者がやったのだ。奴隷たちが彼に言う、行って
、集めましょうか。
彼は言う、いや、雑草を集める時にいっしょに麦まで抜くといけない。収穫までどちらも育つにまかせよう。収穫の時になったら収穫する者たちに言うことにする、まず雑草を集めて、まとめて束ねて焼き、麦は私の倉に入れるように、と。」

マタイ福音書筆者としては、マルコに該当する部分はこれだと思ったのでしょうか。

自分たちに従わない人々を異端として排除すること、それがイエスを王とする神の国で実現するとしているわけです。

(WTにとって、どれだけマタイが大切かがわかりますよね。)

繰り返しますが、マタイの福音は(終末によって実現する)「神の国、御国」であり、マルコの福音は「イエスという男そのもの、その生き様」です。
マタイは「福音であるイエス」を、「福音宣明者(神の国を宣べ伝える)イエス」にしてしまいました。

マタイ福音書は当時流行の終末思想からの影響を色濃く反映していると思えます。

マルコ福音書でのイエスは、当時流行の単純なメシア待望論、終末思想に関連するメシアであると思われるのを望んでいないことがわかります。

それは神ではなく、人間の考えだからです。

マルコ福音書に描かれるイエスは、ユダヤ教、キリスト教の望むようなメシアではありません。

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まとめ

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ちょっと横道にそれたりで長くなりましたが、マルコ福音書が先に書かれ、より正確なイエスの言動を描いているというのであれば、マタイ福音書の福音である、イエス・キリストが君臨する神の王国、その王国による現世界の終わり、それに付随する、クリスチャン(真のとか、正統だとか)以外の人間を、イエス率いる天の軍勢が殺すなんてことを信じて、脅迫観念を受けて奉仕することなど、全く無意味になります。

次回は使徒に関連したことを考えてみます。

続くノシ

※定められた時に神が悪霊を滅ぼすというのは、第1エノク書が最初に言及していることです。

 新約聖書にはエノク書からの引用がペテロ第2とユダにあります。

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